まじめんたる

モノ、コト、サービスについての体験を書いています

前の職場を早く辞めておけばよかったなという話(「Chikirinの日記」感想)

 

要は、「どこでも通じる強みがあれば、無理に合わない職場で働き続けなくてもよいし、軽やかに生きていける。」というようなことが書いてありました。

 

このエントリをよんで、早くやめておけばよかったなということがあります。

 

前の職場です。

今の職種ではじめての職場だったので辞めどきがわからなかったというのもあります。

 

最初は「熟達した人がしっかり引き継ぎをするから大丈夫!」ということでしたが、実際入ってみたら長期休職ですぐにいなくなってしまい…。

 

よくわからないまま、とにかく業務を進めなくてはと数年がんばりましたが、味方は増えないし、雑用は増えるし…。

 

なんで早く辞めなかったのかと今は思います。

 

なので、今回はなぜ辞められなかったのかを棚卸しします。

 

目次

 

不況で離職できなかった

そもそも、ぼくは就職氷河期の出なので、「職を自分の都合で選ぶ」という考え方が極めて薄い人間なのです。

しかもその頃はリーマンショックも併発していましたので、この職場の外はさらに焼け野原なのだろうなと思い、離職することができませんでした。

 

これに関しては、厳しい時代だったし仕方がなかったのかなと思います。

 

そもそも歓迎されていなかった

これが一番大きいかもしれません。

経営者が現場と相談せず、一方的に決めたそうです。

入社日に「今日からなんですか?!」と、これから同僚や上司になる人らに驚かれました。

 

せっかく勝手を知った職場を手放したくない

あまり歓迎されていない職場でしたので、自分で一つ一つ業務を分析していくこととなりました。

その結果、ファイルの一つ一つにも愛着ができたのですよね。

入った頃はどこに何があるかも誰も教えてくれなかったので、「やっと自分のものになったぞ」と思いました。

なので、今度はやっと分析した仕事をやめたら、また次の職場も一からやり直しだと思い、やめることができませんでした。

 

これに関しては、今ならさっさと止めればよかったなと思います。

普通、入ったら資料の場所くらい教えてくれますから。教えられなかったのは、単に歓迎されてなかっただけなんだろうなと思います。

ただ、当時は経験がなくて、そうは思えなかったのですよね。

 

「あの人より先にやめたくない」という思い

なんとか業務をものにした後、次は「教えてくれなかった人たちより先にやめたくない。」と強く思いました。

 

自分は「業務をものにする」というヤマを越えたわけですから、簡単には手放したくないわけです。

で、周りを見回すと、彼らも別に今の職場に固執しているようには見えなかったんですよね。仕事中ずっと転職サイト見ていたような人たちだったので

 

だから、「彼らがいなくなって、新しい人の割合が増えれば、自分にもこの会社に居場所ができる」と思い、その日まで辞めないことにしたのです。

 

ただ、それは甘かったなと今は思います。

そういう、「(歓迎はしないにしても)入ってきた人に何も教えず転職サイトを見ているような人たち」は、次に雇ってくれる会社がないので出ていかないのです…。

 

当時のぼくが考えるべきだったこと

以上を踏まえ、ぼくがどう考えるべきだっかをまとめました。

そもそも、「ぼくを歓迎しなかった人たち」と仕事をスタートすることがすでに効率的ではないし、ぼくもその評価をひっくり返せる程の技量はなかった。

・そこで対立することで膨大なエネルギーを使った。他の建設的なことで使えば良かった。

 

メリットはあったのか

一応、当時感じていたメリットはありました。

相手にされない分、ある程度自由がきいていた。

・立地や就業環境は悪くなかった。

でも、これで職場の根本的な問題をペイできるかというとそうではなかったと思います。

 

そもそも、その職種が初めてだったのに、業務を理解した上司がいなかったということを「ある程度自由がきく環境」ととらえてしまっていたことが間違いです。

そこは、「成長の機会が少ない環境」ととらえるべきだったと今は思います。

 

やはり早く辞めるべきだった

結局、不況もやわらぎ、なんとか外に出られそうになったところで、ぼくは職場を辞めました。次を決めたうえで。

 

もっと早くやめておけばよかったと思います。

 

ただ、現在その状態だとなかなか思い切れないのですよね。

そこで敢えて攻めることができるのが、「Chikirinの日記」にあるように「強さ」なのだろうなと思いました。