「けものフレンズ」ゆらゆらしたCGの動きに見入ってしまう
アマゾンプライムで見放題になったので、今更ですが「けものフレンズ」を一気に見ました。
けものフレンズ オフィシャルガイドブック プロジェクトの軌跡
- 作者: けものフレンズプロジェクト
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2018/12/29
- メディア: 単行本
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「IQが溶けるユルさ」や「サーバルちゃんカワイイ」という前評判通りの良さがあり、大満足でしたので、よかった点をまとめました。
目次
- 安心して見られる
- なんで見入ってしまうのか
- CGのゆらゆらした動き
- 絶妙な間がある
- 「けものフレンズ2」はどうなんだろう?
- あの隙をもう一度見たい
- 隙を埋めればよいわけではないけど…
- 「あのユルさ」に名前がついて欲しい
- 認識していたけど敢えて違うものを作りたかったのかも
- 言語化できないことは認識し難い
安心して見られる
物語を動かすためには、なにかしらの「事件」を起こさなければなりません。
でも、この「事件」というのがくせ者で、見ている方がブン回されるようなドテライ奴だと、見てて超疲れます。
ぼくは物語にブン回されるのはあまり好きではないのです。
けものフレンズは、どちらかというと平坦なのですが、見せ方が上手いなと思いました。
深刻なシーンも、ぼくの感覚ではペンギンの回と最終話くらいですし。
なんで見入ってしまうのか
正直、もっと作画などに熱がこもったアニメは沢山あると思います。
でも、なんかそういう熱が窮屈に感じるときもあるのですよね。
けものフレンズは適度に隙があるところがいいなと思いました。
CGのゆらゆらした動き
ストーリーなど、いろいろなところが緩くて、見ていて疲れません。
それでいてヨソ見せずに(手元のリモコンも押さずに)見ることができるのは、CGらしい動きによるところなのかなと思いました。
絶妙な間がある
ゆらゆらとした、「CGらしい自然な動き」から、たどたどしい語彙の「すごーい!」とかいう言葉が出てくる。
これってなんか可愛らしく感じてしまうんですよね。
ゲームとかでもCGのキャラが話すときってなんかゆらゆらと画面に出てきて話し出すじゃないですか。
ああいうふうに、「画面にゆらゆらとしたCGが出てきたら、話をきく準備をする。」という習性が、今の人の中にもう回路としてあるんじゃないかなとぼくは思います。
そして、「けものフレンズ」はその習性を上手く突いてきているなと思うのです。
だから、平坦な筋書きでもヨソ見せず見ることができるのだと思います。
「けものフレンズ2」はどうなんだろう?
「けものフレンズ」が楽しかったので、現在放送中の「けものフレンズ2」も見てみました。
ぼくは今更「1」を見たくらいの人間ですから、別にキャラ萌えとか、たつき監督問題とかには思い入れはありません。
ただ、「CGのたどたどしい動き」や「筋書きの平坦さ」はシャープになったなと思いました。
作画の動きにも、話の筋にも全てに「メリハリ」が出て、「パッケージとして整ったアニメになった」と思います。
あの隙をもう一度見たい
「2」がよくないわけではないと思います。
ただ、独特な脱力感は「1」の方が強かったかなと、見ていて感じます。
そして、「やっぱり、あの独特の隙のある演出のままで2を見たかったかなー。」と、叶わないことを考えてしまうんですよね。
隙を埋めればよいわけではないけど…
「2」については制作側として会社として、「1」よりも多額のお金が動いたと思われます。
だからこそ、「隙を埋めることでパッケージとして完成させて、収益回収を安定させたい」という企業らしい考え方もあったのだろうなと思います。
「あのユルさ」に名前がついて欲しい
「1」のユルさが「けものフレンズ」のキモであり、それが「1」の収益につながったという事実を認識しているか、していないか。
認識していれば「2」も今とは違うものになったはずです。
認識していたけど敢えて違うものを作りたかったのかも
もしくは、「1」のユルさや良さを充分認識してはいたものの、敢えて新しいものを作った可能性もあります。
というのは、「1」のとらえどころのない魅力というのは外に展開するときに再現できない可能性が高いからです。
「展開する」というのは具体的に言うと「メディアミックス」です。
「メディアミックス」する際に、各メディアに持ち運べない「クセ」のようなものは予め除外したのかもしれません。
言語化できないことは認識し難い
どこの職場でもよく起こることですが、言語化できないことは軽視されがちです。
特に、今回のような新しいタイプのユルさは、とらえることが難しいので、チームで同じものを作ろうとしても難しいのだと思います。
叶うなら、「あのユルさ」にジャンルとして名前がついて欲しいなと思います。
そうすれば、「あのユルさ」が市民権を持ち、ああいうコンテンツが増えるからです。
それに、その種のコンテンツのノウハウが増えれば安定した「メディアミックス」の手法も整います。そこさえ整えば企業も強気に出ることができます。
冒頭に書いたように、ぼくは物語にぶん回されるのが好きではないので、そのような流れは大歓迎です。