まじめんたる

モノ、コト、サービスについての体験を書いています

会社に「主語がない」メールが蔓延する理由とその対策

学生時代、あれだけ国語の時間に「この文章の主語は誰でしょう?」という問いに答えてきたのに、社会には主語がない会話や連絡があふれています

 

また、その様子に対して

「だから日本語はダメなんだ」

「英語は主語が明確だからいい」

という批判が散見されます。

 

ただ、もう少し踏み込んで考えないと日常にその意味を浸透させられませんので、整理してみました。

 

まとめ

 

そしたら、「主語がない」ってむしろハイレベルじゃない?!

ということに気がつきました。

 

たとえばこういうこと

たとえばこんな報告メールがあるとします。

「もう少しデータの精度をあげませんと、商品の欠陥につながる可能性があるので、できうる限りデータを精査する必要があります。」

 

この文章でやらなければならないと読める部分は「データを精査する」ということです。

ただ、誰がそれをするのかは書かれていません。

 

その結果、誰も精査をせず、防げたはずの商品の欠陥もそのままになってしまうかもしれません。

 

「それがよくない!」と指摘する第三者

会社も、そんな欠陥頻発の組織に業を煮やし、外部からやり手をヘッドハンティングしてきたり、コンサルを入れたりします。

 

そこで、外部から来た彼らが口々に言うのが冒頭の言葉です。

「業務フローが属人的で責任の所在が曖昧」

ヒアリングしても皆に主語がない」

結果、組織としての体をなしていないと診断されるのです。

 

一応、主語がないにも理由がある

コンサルの言うことはもっともなのですが、中の人を色々経験している身からすると、別に、中の人も好んで主語を抜いているわけではないと思うのです。

 

主語を、抜くべき状況だから抜いていることもあるのではないでしょうか。

 

誰が何をやるのか曖昧だけど…でも、空気読めばわかるよね?

中の人たちの大部分がそう思っているから主語が抜けていることが往々にしてあります。

 

なぜそうなのかというと、

・「とりあえず議題を提起しておけば○○部のあの人あたりがやるだろうし。でも、自分が直接言うのはちょっと違うから、気づいてもらえばいいや。」という計算

・「それにもし、そこでスルーされちゃっても、他の誰かは気がつくはず。後は組織の自浄作用でカバーされちゃうでしょ。」という目算

 

冒頭で言いましたが、これって、ある意味極めてハイレベルなコミュニケーションです。明文化されていない関係から始め、最終的には「空気読め」ですから。

 

「空気読め」の前では、どんなソリューションも子供っぽく見えてしまう

中の人が長い長い社員同士の信頼の中で作り上げたのは、「空気を読みつつ最適化された明文化されていない役割分担」です。

それに対して、コンサルの主張する「だーかーら!主語がないとわかんないでしょ?誰が何するのかって!」という物言いは非常に子供っぽくうつってしまうのですよね。

 

でも、経営者視点や今後の社会情勢としては主語は抜かないのが正しい

言葉を省略してしまうのは、会社組織が長年醸造させた信頼関係からであり、その様なコミュニケーションがとれているのは素晴らしいことです。

 

しかし、

「今後、働き方も多様化していく中で、属人的な信頼関係を維持することは難しいのではないか」

「また、外国人就労者なども増えるにあたり、空気から理解させるのは無理がある」

「さらに、ゆくゆくはAIやロボットにも工程を理解させて人の代わりになってもらうのに、そのフロー図が未だに空気読めでよいのか」

などなど、現行の信頼関係だけでは乗り越えられない問題はすぐそこに迫っています。

 

いいところをとっていく

「主語がないから全てダメ」

ということではなく、「主語がないのにそこそこフローが回っているのはなぜか?」と考えることも大事だと思いました。

すでにある信頼関係の上に、何かしら強固なコンセプトを共有すれば柔軟性はありつつ堅牢な会社組織となるのではないでしょうか。

 

 

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